再初期の音楽のかたち
合奏曲「橋」高円寺北中音楽祭
2013.
11.19
「音楽の根源、すべての生物が持っている心臓の音=鼓動をあらためてかんじながら、この日だけの音の道を歩いてください。」これは主催者の狩野さんの言葉の断片である。音楽が儀式であったり、祈りであった、まだ芸術(広義の)という概念がなかった時代の音楽、人が本気になればいつでも戻れる場所、それは個々の問題で、押し付けるものではない。純粋に考える人だけが知る。野鳥入門より 2013/11/2
高円寺の細い生活感とリサイクルショップがいっぱいだった、高円寺北中商店街。その細長い商店街に沿って、様々な管楽器を持った高校生と、サックス・スティールパン・ピアノ合わせて20〜30人ぐらいはいただろうか。
町の中にその場に共鳴するかたちで聴こえていた気がする。自由な状態の音。ある方向や、対象に向けて、ではない音の鳴り方。という印象だった。
今年の夏に行った、バリ島のガムランを思い出した。チケットを買って「ステージ」のそれを観るものが大半だった中で、ある村から帰る途中、両側を田んぼに挟まれた一本道の脇で、お祭りなのか儀式なのか、十数人の大人やこどもたちが集まってガムランを鳴らしていた。他にはあるのは、田んぼと道だけ。音楽を鳴らすという行為と場の共鳴、状態を通過させるという行為の中で音楽は、かなり機能するんだな。