すでにあるものしかない
赤瀬川原平 “超芸術トマソン”
2011.
01.07
高校時代の太っちょの社会の先生が夏場ポロシャツ一枚で授業をしてた。薄手なのか、フィットしすぎなのか、乳首が完全に浮いてる。内閣がどうこうと言われても、あんたの胸に目が行く。狙ってるわけじゃないから自然体もいいところ。そこにチョコンと立ってる。
目に入っても、なんとも言えないから、何か引っかかりながら素通りするしかないような人による偶然の構造物。
この本は、そのような物体(主に建物に付属するもの。)への視点の投げ方を提示したもの。
窓を埋め込んだために無用となった庇、壁に残された元隣家のシルエット、等など注意して見ればそこら中にあるもの。昔流行った、焦点をズラせば浮き上がって見えてくるステレオグラムのように、平凡な町並みが少し違ったように映る。
肩肘ったものより狂気をはらんでいるように思う。そして、なによりも笑える。空耳アワー、みうらじゅん、都築響一、等と同じ。毎日の小さな幸せが増える一冊かと思う。
上記のようなものは音楽においてもあると信じている。そしてその感覚が自分の中では感動、衝撃と同義である。
変という感覚はなんとも個人的なもので、聞き慣れたものがロックであればジャズやテクノを聴いた時になにかしら違和感は感じれると思う。
一周回ればなんでもおもしろくなる。
ジャンルによるものではなく、そんな感覚を基にいろんな音楽(もしくは他の物)を紹介していければと思う。